原作設定と二次創作・書き手の決定権について

 こちらのツイートを先日見かけて本当にそうだなと思って次のように呟きました。

 「自分の好みに合うバランス」というのは話題として挙げられた「原作設定をどこまで細かく拾うか」もそうだし、同時に「原作設定をどう取捨選択するか」でもあります。
その取捨選択の範囲はさらに、「原作世界の時代背景や文化」「キャラの性格や思考過程の解釈」「原作内で直接描かれていないキャラ同士の関係性」などに細分化することもできます。

原作沿いではない現パロや他さまざまなパラレル・パロディを描く場合も、どのように原作設定をその新しい枠組みに翻訳していくかという問題が出てきます。
また、既にファンコミュニティ内に浸透しているパロディ設定がある場合、そこからどうオリジナリティを出していくか、出さないかという選択も、意識してにせよ無意識にせよ、くださなければなりません。

そもそもそうした設定について深くまで踏み入らず、ストーリーの力に重きを置きたい書き手もいます。思いついたストーリーがまずあり、そこにキャラクターを置いていく場合、設定はストーリーに合わせて柔軟に変更されていく場合があります。

ストーリーを重視するか、二次創作で付与された設定を重視するか、あるいはおおもとの原作設定を重視するか、それぞれのバランス感覚は書き手・読み手の数だけあるのでしょう。
ストーリーを面白いと思い、キャラクターの配役を楽しむ人もいれば、原作設定がいかに二次創作中の世界観に活かされているかにわくわくする人もいます。それぞれの要素の好みの配分は人それぞれです。

そもそも書き手にとって書く時間は有限です。原作設定との考証に時間をかけるか、より洗練された文章表現に磨きをかけたいと思うか、ストーリーの説得力を高めるために台詞・心情表現を徹底的にチェックしたいかは、好みと裁量に任される部分です。

一人称が「俺」「おれ」「オレ」のどれか、台詞と本文で「私」と「わたし」が使い分けられていないか、原作の本文では「言う」「云う」「いう」のどれが使われているか、「――」や「……」は表現上どのように処理されているか、そうした文章体裁的な部分にこだわって原作らしい雰囲気を追及する書き手もいれば、キャラにしゃべらせる台詞の息継ぎ、ことばの選び方、そのひとつひとつの響きを重視し、心情表現の比喩ひとつとってもキャラ自身の生い立ちや考え方、趣味嗜好から導き出そうと校正段階でウンウン悩む書き手もいます。

原作という大樹から、色々な形で原作を・キャラを愛するゆえに、個々人による二次創作という枝葉末節が無数に生れてくるのは楽しいことだなと思います。時間と労力を費やした結果、世界に一つだけの自分の好みを詰め込んだ作品が目の前に一つ出来上がるのです。自分の好きは自分が一番知っている。(でも驚きが好きだったりもするので、自分以外が書いた自分の好みドンピシャな作品に出会えた時の幸せは何にも代えがたい)
二次創作は原作を考察したり、もっと世界観に浸っていたいという気持ちが長じて「もしかしてこうだったら」「もしもこんな場合があったら」という発想に走ったときに辿り着くひとつの愛し方なのかなと思います。

好きな作品に・世界観に浸っているのって本当に楽しいです。ときどき理想の形にできたらもっと楽しい。自分以外の誰かが作っていたらわくわくするし、ときにはそれが好みにぴったりのバランスで描かれていて最高の気分になれたりするかもしれません。
自分以外の誰かの好みって、むしろ自分の好みと合っている方が珍しくて奇跡のようなものではないでしょうか。だって全然違う人間だし、二次創作ってほぼアマチュアの手によるものだし、マーケティングなんてしないし、基本的に書き手が自分自身のために書いてるものだから。

だから原作設定という共通認識が定規になるのはわかりますが、だからといってそれが正誤にはならないし、ましてや武器として振り上げられるものではないのでしょう。
共通認識からいかに料理していくかが二次創作なのかなと思います。美味しく料理して美味しく食べたい。もし自分以外にも美味しいと思ってくれるひとがいたら嬉しいことです。(どうかな、と思ったらこっそり味見して、好みでなければそっと立ち去ったらいいのです)

イベントで頒布するときのお金のやりとりだって、書き手が中身のクオリティを保証した商品を買っているわけではなく、あくまで書き手が自分のために書き上げたものを、印刷・イベント参加・頒布するにあたっての費用と手間を、頒布代として折半することで、分けてもらっているという建前があります。

冒頭で引用したツイートを見てから、ゆるゆるとそんなことを考えていました。
自分に無理なく、人に無理と迷惑をかけずに楽しめるのが一番です。
二次創作ってあくまで趣味ですからね。

着地点がふわふわになりましたが、書きたいことはこのくらいです。
ふわふわ。